- ギュツラフ訳コノ ヲナゴニ ハナシヲ シタ. ワシドモ ヰマノ アヰダニ オマエノ コトバヲ ユエワ ゾンジヌ. ジシン キイテ シイテヲル, アノヒト マコト クレストシワ セカイノ スクウ ヒト。ベッテルハイム訳コノ ヲナゴニ イウン. ナマ ワッタアガ シンズヨスヤ イヤガ イツヤイスン ツイテアラン, ドウシヤイ アレ キ•, マコトニ クレスト, セカイノ スクウヨル ヌシ ンデ シテヲン。ヘボン・ブラウン訳をんなにいひけるは いまなんぢのいひしことによりて信(しん)ずるにあらず われらみづからきゝてこれはまことに世(よ)をすくふのキリストなるものとしればなり明治元訳かれら婦(をんな)に曰(いひ)けるは今(いま)なんぢの言(いひ)し事(こと)に因(より)て信(しん)ずるに非(あら)ず我儕(われら)みづから聞(きき)て此(こ)は誠(まこと)に世(よ)の救主(すくひぬし)と知(しり)たれば也(なり)ニコライ・中井訳而(しかう)して婦(をんな)に謂(い)へり、我等(われら)は已(すで)に爾(なんぢ)の言(ことば)に因(よ)りて信(しん)ずるに非(あら)ず、蓋(けだし)自(みづか)ら聞(き)きて、彼(かれ)は誠(まこと)に世(よ)の救主(きうしゅ)ハリストスなりと知(し)れり。ラゲ訳斯(かく)て彼(かの)婦(をんな)に向(むか)ひ、我(われ)等(ら)は最早(もはや)汝(なんぢ)の語(かた)る所(ところ)によりて信(しん)ずる者(もの)に非(あら)ず、卽(すなは)ち自(みづか)ら彼(かれ)に聽(き)きて、其(その)眞(まこと)に救世主(きうせいしゆ)たる事(こと)を知(し)れり、と云(い)ひ居(ゐ)たり。永井直治訳されば彼等その婦に云へり、もはや我等は汝自らの話(ものがたり)のゆゑに信ずるにあらず。そは我等自ら聞き、且つ此の者は眞に世の救主、〔卽ち〕キリストにおはすことを知りたればなりと。大正改訳聖書かくて女に言ふ『今われらの信ずるは、汝のかたる言によるにあらず、親しく聽きて、これは眞に世の救主なりと知りたる故なり』Textus Receptusτη τε γυναικι ελεγον οτι ουκετι δια την σην λαλιαν πιστευομεν αυτοι γαρ ακηκοαμεν και οιδαμεν οτι ουτος εστιν αληθως ο σωτηρ του κοσμου ο χριστοςKing James VersionAnd said unto the woman, Now we believe, not because of thy saying: for we have heard him ourselves, and know that this is indeed the Christ, the Saviour of the world.バチェラー訳aige, nei shiwentep otta ene hawe okai-hi :— Tane anak ne e ye itak gusu chi eishokoro shomoki: chi utara yaikota chi nu wa son no newa tambe anak ne moshiri kashiobiuki kunip ne sekoro chi eramʼan ruwe ne gusu ne na, ani itak.