- ギュツラフ訳エズスク アノヒトタチニ ユフタ, ヲマエタチワ ニンゲンノ ムスコヲ アゲラレタノヲ ミズ トキニ, ヲマエタチワ ワシラニ ヂシンカラ コトヲ ツクラスト シヒテヲル. タダシ チチワ ワシヲ オソエタ サマザマ, カヨノニ ワシ モノユフ。ベッテルハイム訳マタ イブンナカエ, イッタアヤ ニンゲンノ (ヒトノ) ムスコ (クワ) サシアゲテ カラ キヤケ ワンド, ドウクル ノヲン サン, タダ チ・カラ ナラアタイル トウリ スベテ コノコト ツタイヨンデ シラレン。ヘボン・ブラウン訳このゆゑに耶穌かれらにいひけるは なんぢら人の子をあげしのちにわれはキリストなり またみづからことをなさずたゞわが父(ちゝ)のをしへしごとくわれかくいひしをしるべし明治元訳是故(このゆゑ)にイエス彼等(かれら)に曰(いひ)けるは爾曹(なんぢら)人(ひと)の子(こ)を擧(あげ)しのち我(われ)の彼(かれ)なるを知(しり)また我(わが)みづから何事(なにごと)も行(なさ)ず惟(たゞ)わが父(ちゝ)の教(をしへ)に從(したが)ひて此等(これら)の事(こと)を言(いへ)るを知(しる)べしラゲ訳然(さ)ればイエズス彼等(かれら)に曰(のたま)ひけるは、汝(なんぢ)等(ら)人(ひと)の子(こ)を擧(あ)げたらん時(とき)、我(わ)が其(それ)なる事(こと)を曉(さと)り、又(また)我(わ)が私(わたくし)には何事(なにごと)をも爲(な)さず、父(ちち)の敎(をし)へ給(たま)へる儘(まま)に、此(この)等(ら)の事(こと)を語(かた)るを曉(さと)らん。永井直治訳是の故にイエス彼等に曰(のたま)へり、汝等は人の子を舉げしとき、そのとき我なることと、我は我自身より何事をも爲さず、されど父の我に敎へ給ひしままに、此等の事を話(ものが)たることを知るべし。大正改訳聖書ここにイエス言ひ給ふ『なんぢら人の子を擧げしのち、我の夫なるを知り、又わが己によりて何事をも爲さず、ただ父の我に教へ給ひしごとく、此等のことを語りたるを知らん。Textus Receptusειπεν ουν αυτοις ο ιησους οταν υψωσητε τον υιον του ανθρωπου τοτε γνωσεσθε οτι εγω ειμι και απ εμαυτου ποιω ουδεν αλλα καθως εδιδαξεν με ο πατηρ μου ταυτα λαλωKing James VersionThen said Jesus unto them, When ye have lifted up the Son of man, then shall ye know that I am he, and that I do nothing of myself; but as my Father hath taught me, I speak these things.バチェラー訳Tambe gusu, Yesu ene itak-hi :— Echi utara anak ne Ainu Poho rikoshma okere chiki, nei ita anak Kuani Shinuma ne ruwe ne sekoro echi eraman, samata, Kuani anak ne yaikota regaine nep ne yakka Ku ki shomoki, koroka, Michi En epakashnu korachi Ku ye ruwe ne, ani echi eraman kusu ne na.