『ヨハネによる福音書』15章5節 / Gospel according to John, Chapter 15, Verse 5

  • ギュツラフ訳
    ワシガ ブドウノキ, ヲマエタチ ツルワ. ワシノ ナカニ ヲル ヒト, ワシガ ヒトノ ナカニ ヲル, アノヒトワ タント クダモノ ナル, ワシガ ナヰナラ, ヲマエタチ ミナ ツクレヌ。
  • ベッテルハイム訳
    ワネヤ ブドウノ ケ, イッタア エダ, ヒトワ ワ ナカニ ヲ・ヒ ワネン アレガ ナカニ ヲル モン, アレド ミ ヲボコ シヤウジヨン, ヨッテ ワ ホカニ イッタア ノヲン シ•オサン モン。
  • ヘボン・ブラウン訳
    われは葡萄(ぶどう)づるにして汝(なんぢ)らはそのえだなり われかれにをり またわれにをるものはこれおほくの實(み)をむすぶものなり いかにとなればわれにはなれてなんぢらみをむすぶことあたはざればなり
  • 明治元訳
    我(われ)は葡萄樹(ぶだうのき)なんぢらは其(その)枝(えだ)なり人(ひと)もし我(われ)に居(をり)われ亦(また)かれに居(をら)ば多(おほく)の實(み)を結(むす)ぶべし蓋(そは)もし爾曹(なんぢら)われを離(はな)るる時(とき)は何事(なにごと)をも行(なし)能(あたは)ざれば也(なり)
  • ラゲ訳
    我(われ)は葡萄(ぶだうの)樹(き)にして汝(なんぢ)等(ら)は枝(えだ)なり、我(われ)に止(とどま)り我(わ)が之(これ)に止(とどま)る人(ひと)、是(これ)多(おほ)くの果(み)を結(むす)ぶ者(もの)なり、蓋(けだし)我(われ)を離(はな)れては、汝(なんぢ)等(ら)何事(なにごと)をも爲(な)す能(あた)はず。
  • 永井直治訳
    我は葡萄樹なり、汝等はその枝〔なり〕。我に居り且つわれ彼に〔居る〕者、此の者は多くの實を着く、そは汝等われを離るれば、何事をも爲すこと能はざるが故なり。
  • 大正改訳聖書
    我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事をも爲し能はず。
  • Textus Receptus
    εγω ειμι η αμπελος υμεις τα κληματα ο μενων εν εμοι καγω εν αυτω ουτος φερει καρπον πολυν οτι χωρις εμου ου δυνασθε ποιειν ουδεν
  • King James Version
    I am the vine, ye are the branches: He that abideth in me, and I in him, the same bringeth forth much fruit: for without me ye can do nothing.
  • バチェラー訳
    Kuani anak ne pungara Ku ne, echi utara nei ni-tek ne ruwe ne: En oshiketa an wa, samata, oshiketa Ku an guru anak ne, nei guru anak poron no ibe o ruwe ne: En oyakta an chiki nep ne yakka echi ki eaikap ruwe ne gusu ne na.