- ギュツラフ訳ワシガ ヲマエタチヲ シモヲト コドモ ナダ ナヲ ツケヌ, ニヨテ シモヲトコ カシラヒトノ ツクル シゴトヲ シラヌ. タダシ ワシガ ヲマエタチヲ トモダチト ナヲツケル. ニヨテ ワシガ チチノ キイタ コトヲ, ヲマエタチニ ミナ ステサセル。ベッテルハイム訳ナマカラ ワガ イッタア トモンデ イヤン, トモ ヌシノ シゴト シラン コト, タダ ワガ イッタア ドシンデ イウン, ヨッテ スベテ ヲヤカラ キ・ヤイル コトヤ イッタアンカエ シラキヤン。ヘボン・ブラウン訳われいまより汝(なんぢ)らをしもべといはず しもべはその主(しゆ)のなすことをしらず われなんぢらを朋友(ほうゆう)といへり いかにとなればわが父(ちゝ)よりきゝしことをみななんぢらにしめせばなり明治元訳今(いま)より後(のち)われ爾曹(なんぢら)を僕(しもべ)と稱(いは)ず蓋(そは)僕(しもべ)は其(その)主(しゆ)の行(なす)ことを知(しら)ざればなり我(われ)さきに爾曹(なんぢら)を友(とも)と呼(よべ)り我(われ)なんぢらに我(わが)(※1)父(ちち)より聞(きき)し所(ところ)のことを盡(ことごと)く告(つげ)しに縁(よる)ラゲ訳我(われ)最早(もはや)汝(なんぢ)等(ら)を僕(しもべ)と呼(よ)ばじ、僕(しもべ)は其(その)主(しゆ)の爲(な)す所(ところ)を知(し)らざればなり。然(さ)て我(われ)は汝(なんぢ)等(ら)を友(とも)と呼(よ)べり、是(これ)總(すべ)て我(わが)父(ちち)より聞(き)きし事(こと)を悉(ことごと)く汝(なんぢ)等(ら)に知(し)らせたればなり。永井直治訳此の後われ汝等を奴僕(ぬぼく)と云はじ、そは奴僕(ぬぼく)はその主の爲すことを知らざればなり。されどわれ汝等を友と謂へり、そはわれ汝等に我が父の許にて聞きし、すべての事を知らしめたるが故なり。大正改訳聖書今よりのち我なんぢらを僕といはず、僕は主人のなす事を知らざるなり。我なんぢらを友と呼べり、我が父に聽きし凡てのことを汝らに知らせたればなり。Textus Receptusουκετι υμας λεγω δουλους οτι ο δουλος ουκ οιδεν τι ποιει αυτου ο κυριος υμας δε ειρηκα φιλους οτι παντα α ηκουσα παρα του πατρος μου εγνωρισα υμινKing James VersionHenceforth I call you not servants; for the servant knoweth not what his lord doeth: but I have called you friends; for all things that I have heard of my Father I have made known unto you.バチェラー訳Te wano usshiune utara ani an itak ani echi reikore ash shomo Ku ki; usshiune guru anak ne kon nishpa iki ambe erampeutek ruwe ne gusu ne na: koroka, katairotki utara ani Kuani echi reikore ash nisa ruwe ne; inambe gusu ne yakun, obitta Ku Michi orowa no Ku nu okaibe echi nure ash nisa ruwe ne gusu ne na.