- ギュツラフ訳ヨロシイ ユエ ニヨヲテ, ワシガ チチノ トコエ アノ チエ イイテ カラ, ヲマエタチ ワシヲ モヲ ミルマイ.ベッテルハイム訳ギリ ユエ, ヨッテ ワガ チ°ンカエ モドヨン, イッタアヤ ワン マタ ミヤ ナラン,ヘボン・ブラウン訳たゞしきにおいてはわれわが父(ちゝ)へゆきて なんぢらわれをまたみざればなり明治元訳義(ただしき)に就(つい)てと云(いへ)るは我(われ)わが父(ちち)へ往(ゆく)によりて爾曹(なんぢら)また我(われ)を見(み)ざれば也(なり)ラゲ訳義(ぎ)に就(つ)きてとは、我(われ)父(ちち)の許(もと)に去(さ)りて汝(なんぢ)等(ら)最早(もはや)我(われ)を見(み)ざるべき故(ゆゑ)なり。永井直治訳また義に就てとは、われ我が父の許に往く、されば汝等復た我を看ざることなり。大正改訳聖書義に就きてとは、われ父にゆき、汝ら今より我を見ぬに因りてなり。Textus Receptusπερι δικαιοσυνης δε οτι προς τον πατερα μου υπαγω και ουκ ετι θεωρειτε μεKing James VersionOf righteousness, because I go to my Father, and ye see me no more;バチェラー訳Kuani Michi orun Ku oman wa naa echi utara En nukara shomoki gusu ne